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大阪地方裁判所 昭和34年(行)27号 判決

原告 大志万二三子

被告 淀川労働基準監督署長

訴訟代理人 平田浩 外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が昭和三二年一月三一日原告に対してなした労働者災害補償保険法による遺族補償費及び葬祭料を支給しない旨の決定はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

一、原告の夫亡大志万政夫(死亡当時五二歳、以下死亡労働者という)は、大正一一、二年頃より神戸市海岸通り酒木商店(海陸物産貿易商)に勤務していたが、終戦により事業廃止の已むなきに至つたので、京都府綾部市にて乾物小売商を営んでいたが、昭和二六年九月一五日大阪府豊中市大字野田一五三番地大阪雑綿工業株式会社(昭和二九年五月山和紡績株式会社に社名変更)の雑役夫として原告と共に住込みにて入社し、荷物の包装運搬、使走り、炊事、風呂炊き、薪割り、簡単な事務等あらゆる雑労務に従事していたところ、昭和三〇年四月二五日午前八時五〇分頃右会社事務室の片付け作業に従事中、突然事務室裏口附近で転倒し、死亡するに至つたのである。

二、死亡労働者の死因については、死亡診断書によれば「死亡の直接原因は心臓麻痺、その原因は肺結核」であるとせられており、死体検案書によれば「死亡の直接原因は急性心臓衰弱その原因は心臓肥大、動脈硬化、肺結核」、解剖所見は「心臓肥大、動脈硬化、左右肺結核巣、左右肋膜癒着、脾臓出血軟脳膜下浮腫」ということになつており、これらの死因となつた疾病は死亡労働者の業務に起因することの明かな疾病に因るのである。すなわち死亡労働者は前記のとおり昭和二六年九月一五日健康体で入社し、以来死亡時まで同一会社で就労し、雑役夫とはいうもののその仕事の名の示すごとく種々な仕事を含んでおり、本件の場合は社内のあらゆる雑務を一手に引受け、全く休養の暇もないほどの過激な仕事ぶりであつて、加うるに住込労働のため、会社から与えられる粗食に甘んじて就労を続けていたのである。その結果昭和二八年八月結核健康診断の結果肺結核に罹つていることを始めて知りその後医師より労務を休むよう言渡され、およそ一年数ケ月間通院治療していたのであるが、住込であるため、会社からは就労を要求せられ、実際に休んだのは、わずかでその他は就業を続けざるを得なかつたのである。このような状態で雑役夫とは言うものの、その業務内容自体相当な肉体労働であつて、加うるに周囲の環境が悪かつたため発病を一層早からしめたと考えられるのである。而して肺結核については前記のおり入社後約二年経過して始めて発生したものであり、心臓疾患の如きも当然労務の過激に起因するのである。その上雇主たる会社はこのような疾病をともなう死亡労働者をなお従前どおり雑役夫として過激な業務に就かせたため、前記のとおり、就労中に倒れ、事故死を惹起したものであつて、単なる病死とは明らかに区別せられるべきものである。

三、よつて原告は死亡労働者の配偶者として被告に対し、労働者災害補償保険法に基く遺族補償及び葬祭料の支給を請求したところ、被告は昭和三二年一月三一日これを支給しない旨の決定をしたので、直ちに大阪労働基準局保険審査官に審査を求めたが、昭和三二年五月八日請求棄却の審査決定をうけ、同月一〇日その送達をうけた。そこで原告は、さらに労働保険審査会に再審査請求をしたが、これも昭和三四年一月二八日請求棄却の裁決をうけ、同年二月四日その送達をうけた。

四、原告は、右決定はいずれも承服しがたいので、被告が昭和三二年一月三一日原告に対してなした労働者災害補償保険法による遺族補償費及び葬祭料を支給しない旨の決定を取消すべきことを求める。

と述べた。(証拠省略)

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

請求原因一の事実中、原告の夫大志万政夫が原告主張の日に訴外山和紡績株式会社(旧商号大阪雑綿工業株式会社)に雑役夫として原告とともに住込で入社し、原告主張の日時場所で転倒し、間もなく死亡したことは認めるが、その余は不知。請求の原因二の事実中、死亡労働者の死亡診断書(医師戸田富次作成)に原告主張のような記載のあつたことは認めるが、その余の事実は争う。請求原因三の事実はすべて認める。なお、審査請求の日は昭和三二年二月九日、再審査請求の日は同年七月八日である。

被告のなした本件決定には違法はない。その理由は次のとおりである。

一、死亡労働者大志万政夫は、昭和二八年八月一一日肺結核と診断されたのであるが、当時の症状は両肺上部ならびに肺門周囲浸潤、左鎖骨下に空洞らしき像があり、血沈値は一時間二八ミリ、二時間五五ミリ、検痰結核菌陽性で、発病後すでに一年以上を経過しているものと推定され、相当進展した症状にあつた。そこで同人は、同年一〇月一〇日から医師に通院して治療をうけ、順調な経過をたどつて、同日から同月末まで二一日間及び昭和二九年九月一日から同年一〇月末日まで六一日間休業を命ぜられたほか、軽労働に従事しうる状態にまで回復し、特に昭和二九年に入つてからは著しく好転し、昭和三〇年三月七日以後は治療をうけるため通院することもなくなつていた。同人は、医師の指示に従つて、昭和二八年一一月から再び就労しているが、これによつて肺結核の経過に悪影響を及ぼした事実はない。

二、同人は、昭和三〇年四月二五日午前六時頃自宅から出勤して前日会社内で行われた稲荷祭の慰安会のあと片づけをしていたところ、午前八時五〇分頃突然倒れ、間もなく死亡した。死亡の直接原因は心臓衰弱であり、心臓衰弱の原因は心臓弁膜の硬化、大動脈起始部と大動脈弁における高度のアテローム変性ならびに動脈硬化である。肺結核も心臓衰弱をきたす一要因となつていた。しかしながら、肺結核による体力の消耗と生前の労働は、単なる機会的誘因となつているに過ぎないのであつて、真の原因は、内在的な心臓疾患であつたといわなければならない。

三、一般に、疾病は、発病の原因が負傷の場合のように単純なものでなく、本人の体質的素因、日常生活の状況、環境衛生の状況等複雑な原因がからみあつており、業務と発病の因果関係を明らかにすることは極めて困難である。そこで法は労働者災害補償保険法(以下労災法という)第一二条第二項、労働基準法(以下労基法という)第七五条第二項、労基法施行規則第三五条第一号ないし第三七号により、一定の場合による特定の疾病については、業務と発病の間の因果関係を一応推定することとし、一号から三七号までに列挙された場合以外の疾病については、同規則第三五条第三八号によつて、業務に起因することが明らかな場合以外は業務と発病の因果関係はないものと推定する建前をとつているのである。従つて疾病がたとえば肺結核の場合にあつては、同条第七号及び第三三号に定められた業務による場合か、同条第三八号にいうところの業務に起因することが明らかな場合でない限り、労災法の災害補償の事由となる疾病にはあたらないわけである。そして、肺結核が業務に基因することが明らかであるというためには、右のような法の建前からみて、単に比較的肺結核になりやすい業務に従事していたとか、年令に比較して労働が過重であると思われたというような抽象的な事由では足りず、業務上のある具体的な作業あるいは事故と発病との因果関係が、前記推定を覆えすに足りる程度に医学的に肯定されるものであることを必要とすると解すべきである。

四、ところで、死亡労働者の直接の死亡の原因となつた心臓弁膜の硬化は、既応の心門膜炎に起因することが最も多く、それについで動脈硬化症および梅毒に起因するものであり、動脈硬化はアテローム性硬化症であつて、大動脈起始部と大動脈弁のアテローム変性とともに、類脂肪体の沈着が中層に近い内膜に始まり、ついでその部が壊死に陥り、アテローム物質に変化してそれを被う内膜が結合織の増殖によつて肥厚し、内腔を狭め、次第に増大して血管腔に破綻し、アテローム性潰瘍を形成したり、血栓を形成するに至るものであつて、死亡労働者の生前の労働は、心臓におけるこれらの病的変化の進展過程に直接の影響を及ぼしていない。従つて、この心臓疾患を業務に起因したことの明らかな疾病ということはできない。

五、また、死亡の一誘因となつた肺結核も、同人の生前の業務に発病との因果関係の不存在の推定を覆すにたりる程度に、因果関係の存在を医学的に肯認しうるような事由は存在しておらず、かえつて、前記病状の推移よりすれば、同人の生前の業務は、肺結核の経過に何ら影響を及ぼしていないことが明らかであつて、これをもつて業務に起因したことの明らかな疾病ということはできない。なお、同人は、肺結核による休業中、労災法による休業補償ではなく、健康保険法による傷病手当金の支給をうけていたものである。

六、以上のとおり、死亡労働者の死亡は、労基法施行規則第三五条第三八号にいう「業務に起因することの明らかな疾病」による死亡ということはできず、同条の他の各号の疾病による死亡にもあたらないから、その遺族に労災法にもとずく遺族補償費、葬祭料を支給することはできない。

と述べた。(証拠省略)

理由

一、原告の夫亡大志万政夫(以下死亡労働者という)が昭和二六年九月一五日から大阪府豊中市大字野田一五三番地山和紡績株式会社(旧商号大阪雑綿工業株式会社)に雑役夫として雇われた労働者であつて、昭和三〇年四月二五日午前八時五〇分右会社事務室の片付け作業に従事中突然事務室裏口附近で転倒し間もなく死亡したこと、原告が死亡労働者の配偶者として被告に対し、労働者災害補償保険法に基く遺族補償費及び葬祭料の支給を請求したところ、被告が昭和三二年一月三一日これを支給しない旨の決定をしたので、原告が右決定に対し各適法に大阪労働基準局保険審査官及び労働保険審査会に審査の請求をしたこと、ならびに大阪労働基準局保険審査官が昭和三二年五月八日、労働保険審査会が昭和三四年一月二八日それぞれ原告の審査の請求を棄却する旨の決定をしたことは当事者間に争がない。

死亡労働者は、前示のように、昭和三〇年四月二五日午前八時五〇分頃会社事務室裏口附近で突然転倒し間もなく死亡したのであるが、成立に争のない乙第三号証と証人四方一郎の証言によれば、死亡労働者の死体は、翌二六日医師四方一郎の執刀によつて行政解剖に付され、その結果、外表検査について「体格普通、栄養やや不良、死体の強直は各関節に強く、死斑は背面に高度に発現する。結膜やや欝血状、角膜軽度に涸濁し、瞳孔中等度散大状、左右共正円同大である。外陰部尋常、肛門閉塞する。」、内景検査について「皮下脂肪筋肉共にやや消耗状、腸管に異状なく、心臓の大きさ本屍手拳大の一、五倍大、重さ三五〇瓦、表面の脂肪普通、質やや軟右心室表面に母指頭大の腱斑形成がある。各弁膜に硬化を認め、大動脈起始部及び大動脈弁は高度のアテローム変性があり、強い動脈硬化がある。大動脈起始部の巾七、〇糎、左肺は全面に於て、右肺は肺尖部に於て胸壁内面と陳旧な結締織性癒着を営み、左肺の重さ五〇〇瓦、上葉は気腫状で鶏卵大の結核巣がある(結節形成)、下葉は水腫状である。右肺上葉は表面結締織の増殖があり、気腫状で、割面を見るに栗粒大より大豆大結核巣が集つて鶏卵大の硬結を作つている。肝臓は、一、七〇〇瓦、硬度やや硬い。その他腹腔内諸臓器に於ては特に病変ないし異状の所見を認められない。脳表面の血管充盈し、軟膜下に強い浮腫を認める。」とする解剖所見をえたのであつて、死亡労働者が死亡当時既に心臓肥大、動脈硬化、弁膜硬化等の心臓疾患及び左右両肺の肺結核に罹患していたことは疑う余地がなく、前掲各証拠と成立に争のない乙第二号証及び証人硲文雄の証言によれば、死亡労働者の死因は心臓衰弱の結果であつて、前示心臓肥大、動脈硬化、弁膜硬化等の心臓疾患が主たる直接の原因となり、同時に前示左右両肺の肺結核が死因である心臓衰弱を来す一要因となつたものであり、右の如き健康状態にある死亡労働者が肉体労働に従事することは極めて危険であつて、死亡当時の労作が急性心臓衰弱を惹起する一原因となつたものであることが認められる。もつとも、成立に争のない乙第一号証によれば、医師戸田富次が直接死因は心臓痲痺、その原因は肺結核と記載して死亡労働者の死亡診断書を作成したことが認められるけれども、右記載は解剖による精密な検査の結果に基くものではなく、証人戸田富次の証言に徴しても、死亡労働者の死因その原因ならびに要因となつた疾病に関する前記認定を左右するものでないことが明らかである。

二、原告は、死亡労働者の心臓衰弱死の直接原因となつた前示心臓疾患、その要因となつた前示左右両肺の肺結核は、死亡労働者の生前における過激な肉体労働、粗食、環境に起因するものであつて、労働者災害補償保険法第一二条第二項、労働基準法第七五条第二項、同法施行規則第三五条第三八号所定の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するから、死亡労働者の死亡は業務上の事由による死亡である旨主張するので、この点について判断する。

(一)  肺結核について、

成立に争のない乙第五号証と証人戸田富次の証言によれば、死亡労働者は、前示のように、昭和二六年九月一五日から山和紡績株式会社に雑役夫として勤務していたところ昭和二八年八月右会社野田工場にて行われた結核集団検診によつて、左右両肺の肺結核に罹患していることが発見せられ、同年一〇月一〇日より医師戸田富次から医療をうけるに至つたが、前示肺結核は慢性型の結核で相当長期の経過をたどつたものであつて、初診当時の症状としては、両肺上部ならびに肺門周囲浸潤、左鎖骨下に空洞らしき像があり、血沈値は一時間二八ミリ、二時間五五ミリ、喀痰検査の結果は結核菌陽性でガフキー氏表三号に当る症状であり、その発病ないし感染の時期は医学的に明確にしえないこと、死亡労働者は戸田医師から昭和二八年一〇月二四日より昭和二九年三月二日まで結核予防法により第一回の化学療法による医療をうけたが、その間における経過はおおむね良好であつて、血沈値は初診時に比較して著しく好転し、殊に昭和二九年四月七日実施した喀痰検査の結果は結核菌陰性であつたところ、さらに同医師から同年四月三日より同年八月三一日まで結核予防法により第二回の化学療法による医療を続行した結果、経過良好で症状は固定し、そのため同医師は昭和二八年一〇月一〇日より昭和二九年一〇月三一日までは労務不能の診断をしたが、昭和二九年一一月一日以降は就労のまま医療可能の診断をしたこと、昭和三〇年一月病勢はやや悪化し、血沈値は一時間三六ミリ、二時間五八ミリを示し、同月一八日実施した喀痰検査の結果も結核菌陽性となつたが、同年二月以降病勢好転し同月一九日の血沈値は一時間一六ミリ、二時間三九ミリ、同年四月二二日の血沈値は一時間五ミリ、二時間一八ミリであつて、ほぼ正常値を示し、就労のまま医療可能の状態にあつたことを認めることができる。

ところで、証人鈴木カツ、同森迫シマエ、同柏原武子、同寺野利彦、同大前善三郎の各証言及び原告本人尋問の結果を総合して考察すれば、死亡労働者の作業内容は荷造り、使い走り、風呂焚き、薪割り等であつて、作業の性質と事業所内に居住していた関係から、業務上の生活面と使用者の指揮命令から解放された業務外の生活面との区別が劃然とせず、労働時間が不規則で時に一〇時間ないし一二時間労働に及ぶことが認められるけれども、作業内容はいわゆる軽労働の部類に属するものであり、その労働量が著しく過重に亘るとも認められないのであつて、これらの事実関係からは、死亡労働者の前示左右両肺の肺結核がその労働ないし作業に起因して発生し、もしくはその業務に起因して感染したものとは到底首肯できず、その他本件全証拠を仔細に検討しても、死亡労働者の前示左右両肺の肺結核が死亡労働者の労働ないし作業それ自体もしくは作業所内の労働環境、労務管理の欠陥等業務に内在すると認められる危険から生じたものかどうか、換言すれば、災害補償制度上要求される相当因果関係が存在するかどうかについて、当裁判所は遂に積極的な心証を得ることができないのである。そして、前掲各証拠によれば、医師戸田富次は、死亡労働者の肺結核治療のため、昭和二八年一〇月一〇日より昭和二九年一〇月三一日までは労務不能の診断をし、昭和二九年一一月一日以降は就労のまま医療可能の診断をしたにもかかわらず、雇主たる会社は昭和二八年一〇月一〇日より一〇日間ないし一ケ月間死亡労働者を休業せしめたのみで、逐次従来の作業に従事せしめたことが認められるが(右認定に反する証人岩田寿雄の証言と同証言により真正に成立したと認める乙第四号証は措信できない)、死亡労働者の前示左右両肺の肺結核は、初診当時を最悪として一時病勢やや悪化したとはいえ、全体としては順調な経過をたどり、死亡直前には特に悪化の徴候は見られず、むしろ治癒に向つていたことが、既に認定したところにより、明らかであるから、労務不能として休業すべきときに稼働せしめたことにより、前示左右両肺の肺結核を増悪せしめたとすることもできないのである。従つて、死亡労働者の前示左右両肺の肺結核を「業務に起因することの明らかな疾病」であるとすることはできない。

(二)  心臓疾患について、

死亡労働者が昭和三〇年四月二五日午前八時五〇分頃突然心臓衰弱により死亡し、翌二六日その屍体が医師四方一郎の執刀によつて行政解剖に付され結果、死亡労働者が心臓肥大、動脈硬化、弁膜硬化等の心臓疾患に罹患していたことが発見せられたことは、既に認定したところにより明らかであるが、死亡労働者の前示心臓疾患が、業務に起因する精神的、肉体的努力、或は著しい労働過重等に基いて発生し、もしくは業務上の事由に基いて増悪したとする証拠は全く存しない。かえつて、証人四方一郎、同文雄の各証言によると、死亡労働者の前示心臓疾患は慢性の疾患で相当長期の経過をたどつたものであるが、いかなる原因によつて発生し、また、いかなる進展過程を経過したものであるかを医学的に明確にしえないばかりでなく、死亡労働者の生前の労働、前示左右両肺の肺結核に基因するものでないことが認められるのである。従つて、死亡労働者の前示心臓疾患も「業務に起因することの明らかな疾病」であるとすることはできない。

三、原告は、前示心臓疾患及び前示左右両肺の肺結核の症状にある死亡労働者について、雇主たる会社が、労働を禁止すべきに、従来どおり雑役夫として過激な業務に就かしめた結果、就労中に倒れ事故死を惹起したものであつて、死亡労働者の死亡は業務上の事由による死亡である旨主張するので、この点について判断する。

死亡労働者が心臓肥大、動脈硬化、弁膜硬化等の心臓疾患及び左右両肺の肺結核に罹患していたところ、昭和三〇年四月二五日午前八時五〇分頃会社の事務室の片付け作業に従事中突然事務室裏口附近で転倒し、間もなく死亡したこと、死亡労働者の死亡は心臓衰弱死であつて、前示心臓疾患が主たる直接の原因となり、同時に前示左右両肺の肺結核が死因である心臓衰弱を来す要因となつたものであり右のごとき健康状態にある死亡労働者が肉体労働に従事することは極めて危険であつて、死亡当時の労作が急性心臓衰弱を惹起する一原因となつたものであることは、既に認定したところにより明らかである。従つて、前示のごとき疾病の症状にある死亡労働者を死亡当時稼働せしめたことが、使用者の義務違反ないし労務管理上の欠陥に基くものであるならば、死亡労働者の死亡は、かかる使用者の義務違反ないしは労務管理上の欠陥の結果生じた危険状態が原因となつて生じたものというべきであるから、前示疾病が業務上の事由によるものであるかどうかに関係なく、業務上の死亡とする理由があるわけである。そこで、雇主たる会社が死亡労働者をして死亡当時雑役夫としての労働に従事せしめたことが、その義務違反ないしは労務管理上の欠陥に基くものであるかどうかを検討するに前掲乙第五号証と証人戸田富次の証言によれば、死亡労働者が死亡直前まで前示左右両肺の肺結核の治療をうけていた医師戸田富富次に対して、肺結核のほか感冒の治療をうけたことがあつても、前示心臓疾患ないしはこれに関連する治療をうけた形跡がなく、証人鈴木カツ、同森迫シマエ、同大前善三郎、同寺野利彦、同岩田寿雄、同柏原武子の各証言と原告本人尋問の結果を総合しても、死亡労働者がその生前中、会社の上司、同僚、妻に対して特に前示心臓疾患による苦痛を訴えたとも認められず、さらに、証人硲文雄の証言によれば、死亡労働者の前示心臓疾患については、全く自覚症状を欠く場合もありうることが認められるから、死亡労働者が前示心臓疾患について自覚症状なく経過し、死亡後屍体解剖の結果初めて前示心臓疾患に罹患していることが発見せられたものと考えられ、雇主たる会社としては、死亡労働者が死亡するに至るまで前示心臓疾患に罹患していることを全く関知していなかつたものと推認できるところ、既に認定したところによれば、死亡労働者の前示左右両肺の肺結核は、昭和二八年八月集団検診の結果発見せられ、同年一〇月一〇日より昭和三〇年四月二二日まで医師戸田富次から治療をうけたが、初診当時を最悪として一時病勢やや悪化したとはいえ、全体としては順調な経過をたどり、死亡直前には特に悪化の徴候は見られず、殊に昭和二九年一一月一日以降は同医師から就労のまま医療可能の診断をうけていたことが認められるのであるから、雇主たる会社が死亡労働者をしてその死亡当時はもとより、昭和二九年一一月一日以降についても、軽労働の部類に属すると認められる雑役夫としての作業に従事せしめたからといつて、敢て異とするにたりないのであつて、死亡労働者をその死亡当時就労せしめたことについて、使用者としての義務違反ないしは労務管理上の欠陥があつたとすることはできない。従つて、死亡労働者の心臓衰弱死が使用者の義務違反ないしは労務管理上の欠陥の結果生じた危険状態が原因となつて生じたものということはできない。もつとも、既に認定したところによれば、医師戸田富次は、死亡労働者の肺結核治療のため、昭和二八年一〇月一〇日より昭和二九年一〇月三一日までは労務不能の診断をしたにもかかわらず、雇主たる会社が昭和二八年一〇月一〇日より一〇日間ないし一ケ月間死亡労働者を休業せしめたのみで、逐次従来の作業に従事せしめたことが認められ、この点において、雇主たる会社に使用者としての義務違反ないしは労務管理上の欠陥があつたとしなければならないが、労務不能として休業すべきときに稼働せしめた最終のときから死亡労働者の死亡との間には一年数ケ月の時日が存在しており、かつ、死亡労働者の前示心臓疾患及び前示左右両肺の肺結核がその生前中の業務に起因する労働によつて増悪し、ひいては心臓衰弱死を惹起したものでないことは、既に認定したところによつて、明らかであるから、死亡労働者の死因である心臓衰弱との間には相当因果関係がないと認めるのが相当である。

四、以上のとおり、死亡労働者の死亡は、労働者災害補償保険法第一条にいわゆる「業務上の事由による労働者の死亡」に該当せず、従つて同法に基く遺族補償費及び葬祭料の保険給付の対象となるものでないから、原告の遺族補償費及び葬祭料の給付の請求を認容しなかつた被告の前記決定は正当であつて、右決定の取消を求める原告の請求は理由がない。

よつて、原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小野田常太郎 阪井いく朗 浜田武律)

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